『インサイド・ヘッド2』ってセラピーじゃないか?

今公開中の大人気映画『インサイド・ヘッド2』を観てきたので感想とセラピーじゃないか?と思った箇所について述べていく。(以下ネタバレ含む)

今作からヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリという原初の感情に次いで大人の感情としてシンパイ、イイナ、ダリィ、ハズカシ、(あとナツカシ)が増えた。

原初の感情たちも大人の感情たちもライリーの幸せという目的のため、あの手この手を尽くて奔走する。

原初の感情たちはいい思い出だけを残し、ライリーが思い出したら辛くなってしまう “悪い思い出”を記憶の彼方へ飛ばす『思い出の選別』を行っている。

新たに増えた感情たちはシンパイをリーダーとし、新しい環境にライリーが適応できるように”悪い未来”の想像を見せ、現実として起こらないように行動させる。

この結果、原初の感情達が作り上げたライリーは、聖人君子のような綺麗な自分、『私はいい人』というコアを持つようになる。

シンパイたちが作り上げたライリーは、できない自分というイメージがこびりつき、『私は全然ダメ』というのがコアになってしまう。

これは現実にも起こり得ることなんじゃないか?という考えがこのブログのタイトルの発端である。

まずヨロコビたちが行っていた『思い出の選別』、これによってライリーは『テストでの点数は良い、運動神経もバツグン、困ってる人を助ける、自分はいい人』と思うのだがこれはライリーの全てでは無い。

いい所だけを集めた結果、と言うだけだ。

現実はテストで悪い点もとったことある、運動神経はいいがアイスホッケーで相手選手に手酷くぶつかりファールを出してしまった事もある、怒りに任せて両親に怒鳴ったこともある、それがライリーなのだ。

んこれらはすべて現実に起こったことだ。

シンパイたちは全く別のアプローチをとる。近い未来に起こる可能性のある悪い想像を何度も見せることで、結果ライリーに悪いことが起こるのを阻止するのだがこれは自分を減点方式で見せている。どう頑張ってもプラスになることは無く、良くてマイナス(悪いこと)をゼロにするのみだ。

シンパイは心配で作られたマイナスの記憶をライリーの大事な記憶として記憶の湖に浮かべ、ライリーの自分らしさとしてしまう。

ライリーはプラスのことを考えられなくなり、自分に自信が持てなくなる。

これは加藤俊徳氏が『脳の名医が教える すごい自己肯定感』という本で言っていたのだが、脳的に自己否定を繰り返すことで脳の領域が一部フリーズし、うまく考えられなくなる。そして自己否定を繰り返した脳は自己否定が癖づき、同じことを繰り返すようになる、結果自己肯定感が下がっていってしまうのだと。

シンパイが独占したライリーの頭の中はまさにこれだ。原初の感情たちは指揮官となるヨロコビがいたもののほぼ対等な位置関係にあり、平等に感情たちは働いていた。一方大人の感情チームはシンパイがリーダーとなり、感情もシンパイが占めていた。いかに心配(不安)という感情が強いのか、一度シンパイに支配されると中々戻れなくなるのか、がよく分かる映画だった。

最後にシンパイが暴走して感情の操作基盤で台風になっていたとき、ちょっとやそっとじゃシンパイを操作盤から離すことはできず、ここでも心配(不安)の依存性が確認できる。

こうやってインサイドヘッドをメタ的な視点から見てみるとメンタルケアの点において非常に役立つ映画だということが分かる。

ラストシーンでシンパイがまた操作盤を触ろうとした時、ヨロコビがシンパイにドリンクとゆっくり休める椅子に座らせて落ち着かせたように、心が落ち着かず大変だという人は感情一つ一つに名前をつけて語りかけて落ち着かせてあげるのがいいのかもしれない。

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